作曲家 相澤洋正さんとの出会い【本人インタビュー】
本日は作曲家として活躍している作曲家の相澤洋正さんに曽根妙子さんについて伺いました!
ーーお二人(相澤洋正さん、曽根妙子さん)はどうやって出会いましたか?
(相澤さん)僕が作曲を提供したのがきっかけです。同じピアノ教室出身の渡辺夏子さんから「コンサートで歌う新曲を作曲して欲しい」と頼まれました。
(曽根さん)2014年でしたね。8月9日に下北沢ハーフムーンホールでトリオパッション(ソプラノ:曽根妙子、トロンボーン:渡辺夏子、ピアノ内奈々子の3人ユニット)でコンサートをするので、そこで披露する曲を作ってもらったんです。
どんな曲が来るんだろうと楽しみにしていて、楽譜を見たら「ハイEs(ソプラノ歌手が出す高音)が6回も入っていて…これは歌えません!」って書き直してもらいました(笑)
(相澤さん)だって、夏子さんからは「高い声が得意」という情報しかもらっていなかったから、高い声の見せ場をたくさん用意しようと思って(笑)
そうやってメールで何度かやり取りをした後に、コンサート当日のリハーサルで初めて会いました。
ーー曽根妙子さんの初めの印象は?
(相澤さん)全力な方だなと思いました。
というのも、コンサートが終わったので彼女に挨拶をして帰ろうと思って待っていたのですが、なかなか楽屋から出てこないんです。どうしたのかなと思ってスタッフに聞いたら「歌い終わって倒れている」と。
歌い終わって倒れちゃう人に出会ったのは初めてだったので、こんな人いるんだ〜と純粋にすごいなと思いました。
(曽根さん)当時はよく倒れていましたね(笑)
当時は発作がひどくて、あのコンサートの1ヶ月前に夏子から「妙ちゃんとは一生一緒に演奏をしたいから、今は休んで欲しい」と言われ、このコンサートを機に全ての音楽活動を休止することを決めていました。だから、文字通り最後の力を振り絞って歌いました。
(相澤さん)僕はそのことを知らなかったので、歌い終わって倒れる程エネルギーを使い果たす人っているんだなって感じでしたよ!
ーー曽根妙子さんの “こころうた” 「大切なものほど目の前にある」も相澤さんの作曲だそうですね。
(相澤さん)そうなんです。この曲は元々、公益社団法人「難病の子供とその家族へ夢を」の団体歌として作曲された歌です。
先ほどのコンサートが終わってから数ヶ月後に下北沢で妙子さんともう一度会いました。そこで初めて妙子さんの体調のことを知り、「このうたを歌わせて欲しい」とお話がありました。
(曽根さん)療養中の病院のベッドの上でこの楽譜を見たときに、「これは私のための歌だ!」と思ったんです。
「いつか体調が良くなって、復帰したら、この歌をステージの上で歌いたいです」とお願いしました。
ーー今では一緒にコンサートすることも多いお二人ですが、相澤さんから見て曽根妙子さんさんはどんな方だと思いますか?
(相澤さん)パワフルな人だと思います。やりたいことをイメージして、行動して、実現していく力もあるし、歌もうまい。うまいっていうか、人の心を揺さぶるうたを歌える人だなと思います。
自分が大変だった時期を乗り越えた経験がうたに乗っていて、先日(2019.03.11)石巻で歌った「あなたのふるさと」を聴いたときには泣いちゃいました。
妙子さんといると元気をもらえるし、これからも一緒に活動していきたいですね。
ーー最後に、相澤さんの今後の展開を教えてください。
(相澤さん)悩んでいる中高生や20代が未来に対して希望を持てる世の中を作りたい、大概のことはなんとかなるよって伝えていきたいですね。10代、20代の死因の第一位は自殺なんです。( 厚生労働省「平成29年(2017)人口動態統計月報年計(概数)の概況」より)
自殺するほど追い込まれてしまう子ども達がたくさんいるのが現状です。
でも、僕ら大人が大いに夢を語って楽しい世界を子ども達に見せることができたら、子ども達も笑顔でわくわくして生きられるようになると思います。大人はそんな未来を示す必要があると僕は思っています。
だから、僕は自分の生き方を通して「大人って何でも出来るし、自由だし、楽しいよ!」って姿を見せていきたいし、妙子さんやあゆみさんと一緒に全国の学校を巡って、音楽と言葉で「未来は希望に溢れてるよ!」ってメッセージを伝えていきたいです。僕たちと会って、「こんな大人になりたい!」って目を輝かせてくれる子ども達が一人でもいてくれたら最高ですね。