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過去の挫折とそこで見つけた本当に大切なもの

 

今でこそコンサートで全国各地を飛び回る生活を送っているが、20代で2度の闘病生活を過ごし、一歩も歩けない状況で心が折れそうになりながらも、歌手活動を諦めず続けてきた過去があった。

 

 

まさか自分が倒れるなんて…

 

――今回は20代の頃について伺います。大学生の時に病で倒れたと伺いましたが、当時の様子を詳しく聞かせてください。

 

大学3年生、21歳の時に病気になりました。その頃は、今では考えられないような過密スケジュールをエネルギッシュにこなしていた時期で、ありとあらゆることに挑戦していたんです。合唱の指導、オペラのコーラス、着付けの勉強や着物モデル、教員免許のための勉強に、コンサートの企画も同時にやっていました。その上アルバイトは2つ掛け持ちしていて、深夜1時まで働いて朝の5時からまた働く…という生活が続いていました。あまりに多忙だったんだと思います。周りの友人からは「このままいったら倒れちゃうよ」と真剣に止められるほどでした。

 

――どうしてそこまで色々なことにチャレンジしていたんですか?

 

やりたいことは今全部やっておこうと思ったんです。あれもこれもと、次々手を出しているうちに、あっという間に予定がぎっしり詰まった生活になっていましたね。

というのも、私には「大学の4年間で絶対にものになる!」という決意がありました。音楽で生きていける力を付けるために、必要だと思ったことは全部やると決めていたんです。ただでさえ一浪して他のみんなより遅れていたので、遅れを取り戻さなきゃという気持ちでいっぱいでした。元々高校までバレーボールをやっていたので、体力にはかなり自信があったので、まさか自分が倒れるなんて思わなかったんですよね。

 

病気を受け入れられず、悔しくて涙が止まらなかった

 

――忙しさのあまり無理がたたって…ということでしょうか?

 

原因が何かはわかりません。ただ、だんだんと体が思うように動かなくなっていきました。毎月の発熱、歩行もままならないほどの腰痛、無気力感、不正出血から始まって、徐々に全身痛や麻痺など、重い症状が発作的に起こるようになりました。更に、薬の副作用で太陽光を感じなくなり、ストレスで難聴になったりと、次々に症状が増えて、恐怖でいっぱいになったことを覚えています。絶対に病気ってばれたくなくて、なんとか隠そうとするんだけど、体がいうことを聞いてくれない。発作が起きると全身が脱力して、一人で食事もできなくなるんです。病気だということを受け入れられずに、悔しくて涙が止まらなくなり、家族にあたってしまうこともありました。

治療法も確立されておらず、完治する病気ではないので、病院を回る度に薬が増えていき、鬱の薬を飲まされ、自分の人格まで否定されているような気になってしまって、あの頃は本当に辛かったですね…。

 

大好きだった先生の言葉を信じてみよう

 

――そして大学3年生で、大学を休学されたたと伺いました。

 

はい、休むのは嫌でかなり抵抗したんですが、結局休学しました(笑)。

その当時は自分のやりたいことで頭がいっぱいで、病気のことなんて考えたくなくて、活動を辞めるとか一旦休むなんて全く考えられない状態でした。そんな意地っ張りで強がりの私を説得してくれたのは、当時お世話になっていた恩師です。

その時のことは今でもよく覚えているんですが、始めは「病院へ行け、学校には来るな!」という先生の言葉を聞かずに登校を続けていたんです。でも症状が進むと、今まで5分の距離を歩くのに20分もかかるようになってしまって。先生に呼び出されて、食堂に座らされ、「もう休学しなさい」と諭されました。その時に言われた「お前だったら絶対に戻って来られる。今の学生の時間を無駄にしないで今は休みなさい。」という言葉を信じてみたいと思ったんです。

私はその先生が大好きでした。先生の指導のおかげで、自分のうたが変わった、体でうたえるようになったという経験があったので、「先生だったら信頼できる、信じてみよう。」と思うことができました。

 

大好きだった音楽を諦めなきゃいけない

 

――休学するまでにも葛藤があったんですね。その後も再発を繰り返したということですが。

 

休学したおかげで症状は軽くなったのですが、完全には良くはなりませんでした。その後も自分を騙しながら活動を続けていたのですが、27歳の時にまた症状がひどくなり、入院。大げさに聞こえるかもしれませんが、あの時には、もう人生終わったと思いましたね。

私は30歳までに歌手として大きな成果を出せなかったら音楽を辞めようと考えていたんです。例えばコンクールで優勝するとか、大きなお仕事をいただくとか、「音楽で稼いでいける、食べていける」という何かの形が出したかったんです。

そのリミットまでもう3年もないのに、入院してしまった。発病した大学生の頃の記憶が蘇ってきて、また1年以上動けない日々が始まるのかと思うと、「どうしたらいいの?あれだけ頑張ってきたのに…。終わった。」と本気で思いました。

 

 

本気のメッセージに覚悟を決める

 

――その絶望から、どうやって這い上がって来たんですか。

 

今までの私だったら考えられない決断なんですが、本気で病気と向き合うために、一旦活動を休止して闘病生活を送りました。ある友達が説得してくれて心が動いたんです。トロンボーンの演奏家の夏子に、「たえちゃんと一生に一緒に演奏していきたいから、どうか一旦休んで欲しい」と涙ながらに言ってくれました。とにかく早く結果を出さなきゃと必死に頑張っていた私に「演奏活動を休め」なんて、なかなか言いづらいことだったと思います。

彼女は、発作を繰り返す私をずっと支えてくれていて、私にとって素直に心をさらけ出せる唯一の人でした。そんな彼女の本心に触れたことで、「一度休んで、本気で治さなきゃ」と強く思ったんです。

 

――活動休止中の様子を聞かせてもらえますか。

「本気で病気と向き合う。病気の自分を受け入れる。」という思いでスタートさせた闘病生活だったので、まずは自分自身にしっかり向き合ってあげようと思いました。今までは病気を否定して、自分を否定し続けていたんです。それで始めたのが、自己記録を付けること。その日の体調や、食事の時間、発作の状態を書いたり、顔色を写真に残したり、思ったことを日記に書いたり…ということを毎日続けました。元々私はきっちりとやりたいタイプなので、毎日記録を取るというやり方は自分に合っていました。

そして統計が取れてくると、少しずつですが、体調を予測できるようになっていきました。こういう状態の時にはお風呂はやめようとか、今日はこれを食べない方がいいとか、試行錯誤した結果、病気とうまく付き合えるようになってきたんです。最終的に病気の自分を受け入れられるようになったこと、自分のメンテナンス法を自力で編み出せたことは、とても自信に繋がりましたし、今でも体調は悪くなる時があるので当時の体験が自分をコントロールするのにとても役立っています。

 

あのころがあるから今がある

 

――その時の経験が「今」に繋がっているんですね。

 

あの頃にたくさん書いた日記は、私の「こころうた」として今も生きています。

私はうたをうたう時に「このうたは、この楽譜は、何を伝えたい?」を考えるようにしているのですが、同じように、「わたしの体調は何を伝えたい?」と自問自答し続けました。「外には治し方はない、全部自分の中にある。自分の力で治すんだ」と思っていたので、どうにかして自分の中から解決策を見つけたくて、問いかけていたんです。

それでようやく、今まで無理させてきた自分の「からだ」の悲鳴に耳を傾けることができました。私はからだの声(インナーボイス)を聞いて、記録し続けることで自分自身の扱い方、メンテナンスの方法を学んだんです。闘病生活を経て、ようやく自分に優しくなれたと思います。

今でも、もとの病気が完治したわけではありませんから、体調の悪い日はもちろんあります。でも今は、そこから1週間あれば絶対に立て直すことができます。どんなことがあっても大丈夫って、今はようやく思えるようになりました。

 

私はうたのちからを信じています

 

――過去のつらい経験を話すのは抵抗があったかと思います。それなのに、いろいろ話してくださりありがとうございました。

 

こちらこそ、ありがとうございました。

正直、過去のことを話すことは今でも抵抗があります。今話したことが記事として残っちゃいうのかと思うとドキドキします。(笑)

でも、私はこの経験があったから、うたと向き合うことができました。うたに支えられて、励まされて、自分が変わることができました。こういった体験があったから「うたのちからって本当にすごいんだよ!」って素直の表現できます。その想いを心に込めてうたう“こころうた”が、誰かの心に届き、その人の“こころうた”を一緒に創っていけたら幸せです!

 

 

 

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