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地域活声家として。FULL-SATOプロジェクトへの思い。

 

今、ソプラノ歌手の曽根妙子さんが最も力を入れている活動。
それが “ FULL-SATOプロジェクト”だという。

一体どんな活動をしているのか?
そして、そのプロジェクトに掛ける思いを聞いてみた。

きっかけは文化庁主催の人材育成プログラム

―― FULL-SATOプロジェクトとは何でしょうか?

地域活性化として「うた」を町民と一緒に作り上げていくプロジェクトです。

―― うたを一緒に作る…ですか?

静岡県に松崎町という町があるのですが、そこを定期的に訪れて、町のみなさんと一緒に「松崎町のうた」を作っています。

静岡県の松崎町は伊豆半島の海岸沿いにある町で、史跡や温泉もたくさんある豊かな場所です。この魅力あふれる町をうたを中心に美術、総合芸術で盛り上げていこうという取り組みがFULL-SATOプロジェクトです。

文化庁が2020年のオリンピックに向けて文化芸術事業を強化していて、その一つに「文化芸術アソシエイツ」という「全国各地の文化芸術の取り組みを支援するプロジェクト」があるんですね。そこに応募をしましたら選んでいただきまして、そこから、松崎町のFULL-SATOプロジェクトが始まっています。

 

――東京オリンピックに向けた「文化芸術アソシエイツ」という取り組みは初めて聞きました。

そうですよね。私も人から教えていただくまでは、存じていませんでした。

当時、私は昭和音楽大学のオペラ研究所にいたのですが、研究長がアートマネジメントを専門にしていた関係でその文化芸術アソシエイツのプロジェクトに関わっていたんです。研究長は、私が大学時代から色々な企画を実行しているのを知っていて、このプロジェクトが私に向いていると思ってくださったみたいで「ぜひ応募してみたら?」と声を掛けてくださったんです。私も面白そうと思って「やります!」と応募してみたら…。

 

――見事選ばれたということですね。その活動では何をしていたのですか?

あちらこちらに行ってました!笑

合格してから、まず1年間の研修を受けます。例えば、震災復興のために行っている文化的な企画運営を見学したり、熊本へ行って歌唱指導をしたりしました。最後に、自分の文化事業のビジョンを研究論文として提出し、認定を受けて1年目の研修は終わり。

2年目以降は、文化振興事業の具体的な企画書を提出し、その中から審査を通った企画は助成金を受けて実際に取り組むという段階です。私はこの研修で知り合った水野さんと一緒に企画書を書いて、実際に助成金をいただき活動することができました。

 

プロジェクトメンバーと一緒に

――その企画書が大変だったと伺いましたが…?

はい、それがすごく大変で!(笑)

私は企画を生み出すのは得意な方ですが、人に伝わるように企画をまとめるのは、どうやら苦手みたいで…。水野さんにたくさん支えていただきました(笑)

 

――苦労してまとめたその企画がFULL-SATOプロジェクトだった、ということですか?

企画名自体はFULL-SATOプロジェクトではありませんでしたが、「美術や音楽などの芸術が、芸術鑑賞だけのツールではなく、老若男女・多種多様な人々が繋がり、地域が抱える課題に取り組むツールとして活かしたい!」という想いは当時から大切にしていますね。

この企画は文化庁から助成金をいただき、町や市を巻き込んだプロジェクトだったので、プロジェクトコーディネーターがつくことになっていたのですが、そのコーディネーターが今もFULL-SATOプロジェクトでお世話になっている常葉大学造形学部の山本先生です。

元々は文化事業を静岡市で行う想定で企画書を提出していたのですが、山本先生から「常葉大学と提携がある松崎町で一緒にやってみないか」と誘われ、私も松崎町でやることにとても魅力を感じたので、企画自体をゼロから考え直すことになりました。

実際に松崎町を訪れ、湧き上がってきたのは「うたをツールにしてこの土地の人々との繋がりを大切にしたい」という想い。「(音楽や美術といった)総合芸術で郷を満せば、繋がりは生まれる」と考え、FULL(満たす)とSATO(郷)を掛けて“FULL-SATOプロジェクト”となりました。

そして、プロジェクトを進めるにつれて、心から信頼できる音楽仲間の作曲家・相澤洋正さんとピア二スト佐藤亜弓さんとずっと私個人の活動を応援してくれていたメンバーも手伝ってくれるようになって、少しずつチームとして活動をしていくようになりました。

相手をリスペクトしながら、それぞれが得意なことを活かしているメンバーのみなさんにはとても感謝しています。

 

町民と作ったうたで町を盛り上げる

――プロジェクトでは、どんな活動をしているんですか?

「松崎町のうた」を松崎町の町民、松崎町役場と一緒に作っています。

松崎町は4地区が合併して出来た町ということもあり、松崎町役場は、「町としての一体感が薄い」という課題を抱えていました。松崎は過疎が進む6000人規模の限界集落なので、みんなで支え合わないと生きてはいけません。でも、町民と行政がバラバラの方向を向いていたんです。

そこで目をつけたのがお祭りでした。松崎町には、たくさんのお祭りがあります。

町民のほとんどが参加するお祭りで、自分たちで作った自分たちが住む土地のうたを、みんなで歌うことができたら、うたという共通点が生まれ、それがきっかけで一体感が生まれるのではないかと思ったんです。

 

――たしかに、そのうたは愛着が湧いてきそうです。

そうはいってもいきなり作曲は難しいので、町民のみなさんには作詞をお願いしようと考えました。そして、作曲は松崎町の素晴らしい景色を音にしてもらいたいと思い、作曲家の相澤洋正さんに依頼して、現地まで行ってもらって本当に感動した景色をメロディにしていただきました。

そうやって景色を音にしたメロディに、幼稚園からお年寄りに至るまで町民の方々それぞれの思いを歌詞として紡いで頂いています。

歌詞を作る過程で、町の素晴らしさを実感したり、松崎の歴史を知り、自分たちの地域に誇りを持てるようになります。さらに、その気づきを町民同士で共有することで、町民の間に一体感が生まれてきます。

松崎を何度も訪れてはこういった活動をこつこつと続けてきたので、「松崎町のうた」の歌詞はたくさん集まりました。すでに100曲は優に超えました。(2018年末時点)

しかも、子供たちが作る歌詞とご年配の方の歌詞では、全く異なります。その人たちの感情、情景が溢れ出していて、小学生の作った歌詞では、松崎町の夏の風物詩や夜の手長エビを取る様子をうたにしたもの。中学生は思春期の恋心、親御さんたちは未来の子供達へのメッセージ。また、お年寄りは懐かしい松崎の風景など、うたを通して松崎町は本当に良い町で、町民に愛されている町だと感じて、私も松崎町が大好きになっていました。

先日、みなさんで作った歌詞を私がうたってレコーディングをしましたが、最終的には町民全員で「松崎町のうた」をうたえるようになってほしい、そして、まだまだ歌詞を作り続けて欲しいと感じています。松崎町自体は6000人規模なので、ひとり一曲、みんなで6000曲が生まれたら素敵だな、と思います。

 

すんでのところで町民の方々に助けられる

――町民の皆さんを巻き込んで、町興しをしているんですね。大変だった点や苦労したことはありましたか?

もう大変なことだらけでした…!

町民の方々に音楽と美術を融合させた総合芸術を体感してもらいたいという思いがあったので、常葉大学と協力して長八美術館でプロジェクションマッピングも実施したり、廃墟になった旅館に蛍のような光を灯して、歌に合わせて点灯するインスタレーションを作ったりしました。

でも、実はプロジェクションマッピングのイベントが終了した時点で1年目が終わっていて、文化庁からの助成がなくなっていたんです。3年プロジェクトを掲げて動いていたのに、わずか1年で活動費がなくなったわけです。

このままでは活動を継続できない状態だったので、大きな賭けにでました。「松崎町でコンサートを開催して、資金を作る。」

200人くらい集まる見込みで集客は行政に任せきりにしていましたが、開催2週間前に確認すると、なんと20人しか集まっていなかったんです。

これでは資金を作るどころか大赤字。慌てて松崎町で知り合った方々に泣きながら電話をかけました。

すると、石田さんという町民の方が奮起して役場に掛け合ってくださり、たくさんの方にもお声掛けしてくださったんです。他にも動いてくださった方々のおかげで、当日には150人以上が集まりました。

結局思ったよりもコンサート費用が大きく、利益はほとんど残りませんでしたが、このコンサートがきっかけで石田さんが会長を務める「松崎町のうたを育てる会」が発足されたり、翌年の松崎町の民間予算をいただけたりと、活動が広まる大きなきっかけになりました。

 

地域活声家としてのこれから

――地道に積み重ねてきたということですね。今後はどのように活動を広げていく予定ですか?

「松崎町のうた」はようやく歌詞と共にうたえるようになったので、今年(2019年)の冬には、「松崎町のうただけのコンサート」を開く予定です。町民が作った歌詞だけでも何種類もあるので、充分にコンサートができちゃうんですよね。

「松崎町のうた」の歌詞を聴くことで、住民のみなさんが地域を愛し、魅力を発見し、松崎町の良さを伝える動きに繋がったらいいなと思います。そして何より、松崎町の皆様に祭りをきっかけに、日常でも「松崎町のうた」をうたってほしい。うたを芸術鑑賞だけではなく、人を繋げるツールとして役割を広げていきたいです。「松崎町の皆さん」が作った「松崎町のうた」を「松崎町の皆さん」がうたうからこそ、伝わるんだと私は思います。

 

――まさに「こころうた」ですね。

本当にそうですね。ある人にとってはたくさんあるうたの中の1つでも、別の人にとっては唯一のうたになる。それが「こころうた」の面白いところです。

私は、この活動を「地産地消」でできるようになったらいいなと思っています。つまり、その土地の人が作ったうたを、その土地の歌手が歌い継ぎ、その土地の音楽家が奏でるということです。歌手や音楽家にとっても、その土地が地元だからこそ出来る仕事です。だから、FULL-SATOプロジェクトで「地域活性における音楽家の役割」を示せたら、音楽家の新しい価値が生まれると思うんです。

 

最近になって、私は「地域活声家」と名乗ることにしました。まだ抵抗がある肩書きですが、松崎のみなさんとの交流を通して、うただからこそできる役割があることを学ばせていただきました。うたで地域の繋がりを作る。私はうたの力を誰よりも信じています。

この活動自体を他の都道府県、他の自治体でもやろうと考えています。あちらこちらで前向きな評価もいただいていますし、お声がけいただく機会も増えてきました。この松崎町を一つの成功モデルとして、日本各地にこの活動を広めていきます。

WEB SITE  [全国の里を満たすプロジェクト「FULL-SATO」-松崎町と歌を育てる-]

 

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